こんばんは、たのしくいきたい子です
(`・ω・´)ぺこ
本日の記事のタイトルは少し重たい内容になっています
なのでなるべく重たくならないよう記事を書いていきたいと思います
今日は生きることが辛ければ何も求めなければ良い理由を記事にしたいと思います
みんな人生を楽しもうと必死になりすぎていないかい?
最近私は思うのですが幸せや楽しさを求める人ほど幸せではなかったり楽しくなかったりします
そりゃ現状の幸せを受け止めずもっと上があると思ったら「今は不幸だ」って思いますよね
しかしなぜみんな幸せや楽しさを求めるのでしょうか?
その理由は子供の時から教えられた「人生一度きり」などの言葉のせいでしょうか
どうせ生きるなら幸せになりたいと願うもの
テレビに出ている人みたいに…SNSで幸せそうな写真を載せている友達みたいに…と思うのでしょう
だけどその願望がときに自分を疲れさせる事があります
私は幸せになりたい症候群だった
思えば私は自分は我が儘ではないと思っていました
しかし…望む物は多くたくさんの友達が欲しくて結婚したくて親とずっと一緒にいたくてお金が欲しくて名誉が欲しくて美味しいプリンが食べたくて神戸牛も食べたくて…
食べ物の話をするとお腹がすいて記事を書けなくなるので食べ物の話はここまで!
私は自分が思っていたより望む物がたくさんあってどれも頑張って手にしたくてしかたありませんでした
全ては自分が幸せになりたいしみんなに「幸せそう」と思われたかったのだと思います
誰かに「あの人は不幸そう」と思われるのが嫌だったので必死に何もかもを手にしようと頑張っていました…
もちろん神戸牛も手に入れたかった…
幸せを望みすぎた代償は不安という大きな荷物
友達がたくさん出来たら…結婚出来たら…
たくさんの事を望むあまりに少しでも友達との関係に距離が空きそうになると「友達のいない寂しい人」と思われるのではと不安になったり、恋愛が上手くいかないと「結婚出来ない問題のある女」って思われるのではないかと周りの目が気になったりしました
とにかく完璧な幸せを手にしなければ不安で不安でしかたのない毎日がありました
そのために「幸せに生きる方法」などをネットで検索したりして幸せを追求し気づけば悟りの世界に入りかけ「たのしくいきたい子教でも作ろうか…」と考えたような考えなかったような…
いや…やはりたのしくいきたい子教を作って大量のお布施をもらって…ぐふふ…いや何でもないです
頑張らなくても自然と欲しいものが手に入る事がある
私は頑張らないと不安になる事があります
その心理は「後悔したくない」「損をしたくない」という心理ですがその頑張ることが多すぎていっぱいいっぱいになってしまいます
そしてあるときにあまりにもたくさんのことを頑張り過ぎて…でも自分の思った通りにならなくてもうどうでもいいやと思い何も求めなくなりました
友達も結婚も幸せも…プリンも…いや…プリンは求めていたな…
幸せを追求しないでもう何も考えず今自分が出来ることに集中するようになってからは心が少し軽くなりそして自然と友達から誘いが来るようになったりしました
結局は頑張っても頑張らなくても結果はあまり変わらないのではないのかなと思うようになりました
何か1つだけ頑張れば良いのです
生きることが辛くなったら本当に何も求めなかったら良いのです
幸せも求めない
すると心がとても軽くなります
心が軽くなってやる気が出てきたら次からは1つ以上のことは頑張らないと決めたら良いのです
そして自分が今、何を一番頑張りたいか考えて
「婚活以外は頑張らない…」「仕事以外は頑張らない…」「人付き合い以外は頑張らない」などのようにそれ以外は頑張らないと決めましょう
最後に
生きがいを感じる時は何かを頑張っているときだったりします
しかしその頑張りが多すぎると生きがいを超えてへとへとになってしまいます
頑張る人ほど、真面目な人ほど生きることに疲れるのにはこのような理由があるからだと私は思います
幸せを追求したら幸せになれない自分に腹が立つかもしくは私のように悟りの世界を開いてしまいますよ
悟りの世界を開いても良いのはブッタ様だけ
それ以外の人間どもが悟りを開こうとするならたのしくいきたい子教に入れられるので気をつけてくださいね
(`・ω・´)ぐふふ